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吉田 真史より皆様へ

私は幼い頃から各カテゴリーの選抜に抜擢され、中学ではナショナルトレセン候補に選ばれました。

高校ではヴィッセル神戸ユースチームで活躍し、 高校卒業後、ヴィッセル神戸ユースチームから当時では只1人だけトップ昇格を果たし、プロ契約を結びました。

今考えると本当に情けないのですが、当時プロ1年目で高校卒業したての私は、完全に勘違いしており、図に乗っていました。

当時の監督のイワン・ハシェック氏から
「このチームの中で一番技術があるのはお前だ。しかし私は今のお前を試合に使うつもりはない。なぜかは自分で考えろ」と言われた時も素直にその真意を考えることができず、 当時の私は「一番うまい選手が試合に出れないはずがない。技術があるのに、使わないのは、お前が使いたくないだけやろ!」と心の中で監督に反発していました。

完全におごり高ぶっていたのです。

自分の技術に対する絶対的な自信があるがゆえに、自分を使ってくれない監督のアドバイスに対して、素直になれない私がいました。
一向に試合に出れず、それから3年が経ちました。その時私に衝撃の出来事が起こったのです。

『戦力外通告。』皆さんも一度はメディアなどで聞いたことがあるかと思います。が、まさか自分が。頭が真っ白になりました。
大好きなサッカーができなくなってしまう。まだ当時21歳。高い山から深い谷へ突き落とされた思いでした。

ただ、まだサッカーがしたい!カテゴリーを落としてでも試合への出場機会を求め別のチームに移籍し『さあこれから試合に出て成長していくぞ!』と息込んだ矢先にまたまた試練が訪れます。
膝の前十字靭帯を断裂してしまったのです。

手術をし、復帰までのリハビリには9ヵ月かかると聞いた時は、気が遠くなり、悔しさが込み上げて、泣いたのを今でも鮮明に覚えています。

その時ふと、昔ハシェック監督に言われた事を思い出し、リハビリしながらもずっとその言葉の真意を考えていました。

「このチームの中で一番技術があるのはお前だ。しかし私は今のお前を試合に使うつもりはない。なぜかは自分で考えろ」

朝も昼も夜も時には夢の中でも考え続けたのです。

そして、ようやく気づいたのです。当時、なぜ自分が使ってもらえなかったのかその真意について。

当時、練習の時に自分より明らかに技術が劣る選手が監督から抜擢され、しかもその選手達が試合で素晴らしい活躍をするのを何度も目の当たりにしました。
なぜ彼らは監督に抜擢され、監督の期待通りに試合で活躍することができるのか?自分との「違い」は何なのか?
当時は冷静に考えることができなかったのです。 怪我をして「どん底」を経験したからこそ気づけたのかもしれません。
彼らとの違いは「発揮能力の違い」だったのです。

誰よりも練習を頑張り、保有能力、技術に対する絶対的な自信を持っていた私ですが…
正直に言います。強がっていたのだと思います。

強がりの自信だけで試合に臨むと、試合の時にはその強がりの自信と同じくらい強いエネルギーで「プレッシャー」が襲ってきます。
大事な試合の最中、たった一つのミスから無意識のうちに不安な感情が広がり、思うように身体を動かす事ができなくなる時もあり、試合後何度も何度も悔しい思いをした経験があります。現役の選手に共通する事だと思います。

ステージを上げるごとに保有能力、絶対的な技術に対する自信を高めなければならないのですが、それと同じだけステージが上がるほどプロとしての「プレッシャー」との戦いが待っているのです。
プロという厳しい世界ではいくら素晴らしい能力を保有していようが、それを試合という「やり直しのきかない場」で発揮できなければ、それは「保有していない」のと同じことなのです。

だからこそステージが上がれば上がるほどこの「発揮能力」が求められるのです。
ではどうすれば発揮能力を高めることができるのか?

それは「素直な」負けず嫌いになることです。
そして、素直になるためには「感謝」することです。

当たり前と思っていたことは、決して当たり前ではない。
普段から自分を支えてくれているすべての事柄への感謝を大事にすることによって、プレッシャーから解放される。サポーターや同僚からの応援が自分を高める強いエネルギーとなり、試合で最高のプレーを発揮できるようになるのです。

この本当に大切な、本質的な気づきこそ、当時の監督が私に気づいてほしかったことではないでしょうか。
監督から「自分で考えろ!」と当時言われたことの答えが、ようやく見つかったのです。

選手として「大怪我」ほど取り返しのつかないものはありません。
大怪我をした当時は、ベストパフォーマンスを尽くせない自分の不運を何度も恨みました。

でも逆境の中にこそ成長がある。

プロとして5年間プレーをした後は、さまざまなクラブでサッカーを通じて社会と触れ合う中、「感謝」の大切さをあらためて実感することができました。それからサッカーを小学生の頃からずっとやらせてくれた親に、サッカーで海外に挑戦することが今の自分にできる恩返しだと考え、挑戦する事を決意。
当時の仕事もすべて辞めて一人でイタリアへ渡りました。

イタリアでは、カテゴリーがあまり上ではないチームからのオファーを受け、給料が低くて生活すらできず交渉決裂。
そしてサッカーを全力でするにしても、外国人枠の問題もあり、言葉が通じずうまくコミュニケーションが取れなくてパスがもらえなかったりと、異国の地で生きていくという現実の厳しさを痛感しました。
何事も準備が大事と言いますが、自分の場合、完全に準備不足でした。

世界で活躍している一流の選手は、学生時代から世界を視野に語学の準備をしています。

それでも私はあきらめませんでした。
失敗は自分で失敗という意味を与えない限り失敗ではない。すべては自分を成長させるために必要な学ぶ経験だと!

現役へのこだわりを持ち続けていた私は、セルビアTOPリーグのヴォイヴォディナというチームでトレーニング参加ができるという話をもらい、また単身でセルビアへ渡る事を決意。

ありがとうの数だけ人生は変わる。
本当にそうだと思います。

すべてをここに置いて帰ろう。

支えてくれたすべての人に「感謝」の気持ちを持とう。

不思議なことに、ここで小学生や中学生の頃に持っていた「サッカーが楽しくてしょうがない!」という気持ちに原点回帰することができました。
さまざまなことを経験する中でたどり着いたサッカーを心から楽しむことの大切さ。
セルビアで「楽しみながら学ぶ」という習慣がさらに集中力を高めてくれました。
セルビアのサッカーもヨーロッパだけあってレベルは非常に高いです。

小さい日本人が大きなヨーロッパ人(白人、黒人)を相手にいかにして勝つかを集中して考える日々のおかげで、勝つために必要な新しい技術を習得することができました。
しかし残念ながら、学んだ技術をベストパフォーマンスで出力し続ける身体が、もはや私にはありませんでした。

現役引退後、この経験を次世代の子どもたちの育成に役立て、世界のTOPで活躍できる選手を発掘、育成していきたいと思いが強くなり、 イタリアやセルビアの育成システムを学びながら帰国しました。

日本の子どもたちに向けて自分の経験を伝え、 一人でも多くの子どもの夢を叶えるサポートをしたいと考え、指導・育成に着手するようになりました。

そしてプロにいた5年間と、その後社会で感じた「ギャップ」の経験から「セカンドキャリアの充実」の重要性も組み込んで、サッカーを通じて本当に人間として必要なことを身につけ社会でも活躍できるという、今までにない新たな人材育成プロジェクト開発に注力していきます。